Doinng 至上主義の是正が課題
話を別の視点から論じてみるが、現在の病気の8,9割はニセ病であるというセンセーショナルなことを言う人がいる。
殆どの病気はDoingに翻弄されて、Being活力の弱体化が根本原因であり、加えてそれを医療に依って治療しようとする医療供給側との呼応によって病気がつくられていると言うのだ。
私はこの説を首肯する。ニセ病と言わずとも社会病であり医源病なのだ。
誤解を恐れずに言えば,殆どの病気は病院での治療の必要はないらしい。
Doingnに生きようと思うから病気なのであってBeingに生きれば病気ではない。
私はおよそ病気に縁遠い立場から言っているのではない。その逆である。
自身難病を患い入退院の繰り返しの弱身であって言うのだ。
なかんずく病院で病気が発見され病名を付けられ、2年半の過酷な闘病生活の甲斐なく逝ってしまった妻のことを思うと、彼女の余命を病院に委ねてしまったことが今更悔やまれてならない。
敢て言う、癌は発見されなければ病気ではない。
彼女はBeingでもっと別な余生を過ごせた筈だ。苦痛は除ってやりたいが治癒に猛進する必要はなかった。
癌にして然り、認知症やアルツハイマー、鬱病などは病院でのDoing治療の必要は無いと思う。
年間2万人を超える自殺者を排出する日本にあって、医療のみならず、引きこもりなどの社会問題を含めて、Doinng至上主義の早急なる是正が最優先課題であるとの思いを深くする。