老いても病んでも回転ずし

体力の衰えは知的生活で補おう。老いても病んでも例え病床にあっても十分楽しい生活は送れます。

「生きる力」

 “ 難病を生きる ”
 
 先日、京都の女性ALS患者が依頼殺人によって命を絶ったということが報道されました。
私は思うに、世間的にも個人的にも「彼女のような絶望的な人生の場合、この結末はやむを得ないんじゃないか」と言うムードが漂っているように思えてなりません。ご本人には悪いが結局彼女もこの同様の世間体価値観の中に苦しんだのではなかろうかと、。

 最近文部科学省が道徳教育の一環として「生きる力を育む」と標した教育指針を出しましたが、どうも「世渡り上手」を養うことを目指しているようで気に入りません。

 私の目指す「生きる力」とは、大病や苦難に打ち拉がれたときなど、対応環境から外された場合にも「それを乗り越える力」「それでも有意義に生きる力」です。
 辛くても、過酷な病気でも、生きる。何が何でも生きる。本当の自分を生きる。そこにあるパワーが「真の生きる力」です。この力の養成こそが課題です。
 ここを世間は「不運」の枠に押し込んで見てみぬふりを決め込んでいます。

 私が強調したいのは「世間の見方を度外視しても境遇者自身が逆転の「生きるパワー」を発現できる筈だと言うことです。
 どんな大病であっても七転八倒の苦痛の瞬間と言うものは案外少ないようです。
そのような苦痛は医療の発達と役割で対応してもらうことにしても、多くの老病苦の場合、「精神的活動」はいくらでも出来ると思っています。
 ノーマルな価値観に拘っていてはいけません。どのような境遇に於いても又別の価値観があります。世間も当人もそれがあり得ることを信じて下さい。そこに「精神的生き甲斐」は見出せます。

 私は先述の彼女に対して同病者として、事の前にお会いして一度励ましてあげたかった。そんな思いを深くしております。 oiyan