Beingに生きるとは何も生きる屍のようになることではない。人は競争しなくても個人の基礎活力を引き出して活き活き生きられると思う。
肉体における免疫力の活性化のようなものだ。
Doing社会では特別な才能と機会に恵まれて一部幸運な勝者が出現する。
しかし大多数の人間はそれら勝者を範とする社会システムの犠牲になって足掻いている。
この社会こそが別な意味での社会主義(又は全体主義)といえる。
わたしはBeingによる真の個人自由主義社会の到来を切望する。
それは社会的役割に於いて一部非効率な面もあろうが今の競争配分主義よりも人が人として幸せに生きる社会になると思う。
丹波老子(oiyan)