老いても病んでも回転ずし

体力の衰えは知的生活で補おう。老いても病んでも例え病床にあっても十分楽しい生活は送れます。

Being & Doing 2

 現実社会はDoing「する」をベースに営まれ、秩序もつくられている。例えば介護する側の考えもそれに外ならない。
それはそれで仕方がない面もあるが、「する」ことばかり要求されるのではなく、何とか「ある姿」を正面に捕まえた「老人を単に[Being]として尊重する」介護であってほしいと思う。
 
 極限的な身障者は「する」という観点からは、無価値、むしろマイナスとさえ言える。しかし「ある」という観点では立派にある。
こういった人々に「ある」価値を見出すことが、老いて「する」から「ある」に移行するひとの大いに道示となっている。人とは皆その「ある」に戻るのだから、
人間と言えども「ある」に原形があって「する」に原形はないというのが自然の理。

 われわれは「する」に人間の存在をみる価値基準に縛られてきた。それが今、とても窮屈になっている。
 例えば学校を辞めてしまったり、不登校になる子供たちがものすごい勢いで増えている。そういう子供たちを見ていると、社会的な制度になってしまっている「する」という価値基準そのものが問われているのだと思う。
不登校やひきこもりは、人間は「する」ということばかり期待されるのではなく、「ある」という視点で生きているのであり、そのことを少しは考えてもらいたいという問題提起ではなかろうか。
 
 今の時代、「する」価値一辺倒であり、それが人間社会でも、自然界からも、限界にきているのだろう。

⇒この視点から安倍さんの「一億総活躍社会」には疑念があり、この延長線上に相模原障害者大殺傷事件(2016/7)が起きたと思っている。⇒、、、

               丹波老子(oiyan)