老いても病んでも回転ずし

体力の衰えは知的生活で補おう。老いても病んでも例え病床にあっても十分楽しい生活は送れます。

Being & Doing 1

 人は赤ん坊のとき、単に[Being](ある存在)として生まれ、やがて子供から大人になる時期、[Doing](する存在)で生き、また老人となって[Bing]に戻る。
今の世、人は「あなたは何が出来ますか?どの程度できますか?」との評価の中に生きることを強要される。
 どうして皆が皆、人生の大半を、[Doing](する存在)で生きなければならないのか。単に[Being](ある存在)がそんなに無価値なのか?
 
 老いても尚、[Doing]で生きようとする人、求める人。いつまでも「する自分」「できる自分」を諦めることが出来ない。だからあがく、しかしそういう価値基準に束縛される限り、「ある」という場所へはなかなか着地できない。
「する」を経て「ある」、存在そのものの場所へ帰る。それが老いることであり、本来の人間の在り方である。
 
 「する」を視点にとらえている限り、子供における「する」の発達、「する」の領域の拡張はプラスとみなされ、老いの過程における「する」の後退「する」の領域の縮小はマイナスとみなされる訳だ。
 しかし「ある」を視点に置いてみると、二つは等価値であり、むしろ人間の発達拡張は一時的な「ある」からの離脱、追放であり、後退縮小は本来の「ある」への回帰なのであって、自然の姿に戻るのだといえよう。
               丹波老子(おいやん)