「言語化しない」
何事も「感じる」に止め、なるべく「言語化しない」方がよいようです。
言葉は他者に伝える道具であっても、自分が自分に伝えることにまで言葉を介在させることは悪しき習慣と考えてよいようです。
「言語化の習慣」とはどういうことかと言いますと、例えば貴方は自分ひとりで何かをしたり考えたりしている時、「えーと何だなこれを先にやろうか、待てよ、こっちもいいね、しかし、これムズイね、こーつと、あーつと」こんな意味のない独り言をブツブツ頭の中で言っていませんか。
中学生のころ数学の問題を解くときなども「そうか、このかっこの中を先に計算してこれを外してまたこれを入れて、、、なあんや簡単やん」とブツブツ言いながら解いたのを思い出します。
このブツブツ思考は凡人が競争に勝つ手法としては有力なのです。
しかしこの思考法は限界があって、言葉は往々にして間違った方向へ誘引(ショート)します。ものごとの本質を理解するためにはむしろ邪魔になるとのことです。
天才は言葉を介在させないで直接ヒラメクらしいのです。本を読むときもいちいち言葉にしなくても文字から直接理解できると言う。
また仏教の黙想とか瞑想もこうした不言の思想背景があります。
かく言う私はブツブツタイプでして本を読む速度も遅い。悲しいかな幼少期にインプットされたこの脳回路は容易に修正できない。
何十年憧れた天才思考法はもう諦めたが、老年になって別の面でこのブツブツ思考の弊害が気になってきた。
<思考の堂々巡り>
大体このブツブツは物事がマズイときに出る。そしてブツブツは繰り返したり堂々巡りをする習性がある。これが困ります。
特にここに「けたくそ悪いなあ」「けしからん」「あの野郎」とかの非難言葉が入ってくると言葉の巡りはいよいよエスカレートし、思考は強烈な言葉に誘引され、堂々巡りながらつまらない確信へと収斂されて行くようです。
私は言葉に誘引されるような自己確信(思考も信念も)は元々大したことではないと思っています。それが時に社会を大攪乱させる強大なパワーになるから困ったものです。
話を戻して私は今、少なくとも悪い思考を絶つように努力しようと思っています。
いくら独り言であっても悪いことや他人を貶すような言葉は入り口でシャットアウトする。つまり「言語化しない」ことが大切です。
私は5年ほど前このブツブツの芽を初期段階で摘む方法(脳の調教法)を編み出しました。
まあ、出かけたシャックリを止めるような方法ですので、恥ずかしいから公開はしませんが、。(人それぞれの工夫どころです)