老いても病んでも回転ずし

体力の衰えは知的生活で補おう。老いても病んでも例え病床にあっても十分楽しい生活は送れます。

カーパッカー

これも20年以上昔のことです 
 
 ぼくは車に少々の着替えと寝具を積んで車泊の旅を楽しんでいます。(、楽しんでいました)
若い人がボストンバック一つを持って海外を旅行して廻るのをバックパッカーというそうですが、ぼくの旅は謂わばカーパッカーです。最近はオートパッカーと言うそうで、そんな特集や雑誌まで出ているようです。
しかし、どうもオートキャンプというのは家を持ち運びするというアメリカの方の発想のようで気に入りません。
大きなキャンピングカーを引っ張り込んでで、道の駅や高速道路のSAなどに寝泊まりしている人までを見かけますがあまり感心できません。

 ぼくも10年ほど前までは結構大きな車で移動していました。一ヶ月も旅に出るならそれだけの生活道具が要ると思っていたのです。しかし経験を重ねているうちに、また時代が進んで、いまや必要とするものは日本中何処へ行ってもその日のうちに、いや、一時間以内に手に入ると言ってもよいでしょう。

 実は、ぼくの車泊旅の原点はライダーなのです。北海道では多くの若者がライダーとして大自然を満喫する爽快な旅をしています。
ぼくももう少し若ければライダーをやってみたいのだが、、
そこで、ぼくのカーパッカーはオートバイに屋根を付けたというだけのことです。

しかし実際これは大きな違いで、寝るときは実に簡単ラクチン、雨が降っても平気ですし、荷物はオートバイの数倍載ります。一人の寝起きくらい〝軽〟で充分です。
なにも車内で煮炊きしたり、歯を磨くこともないでしょう。外で全部やればよいのです。
大自然への旅に出て、TVなど論外です。


 ぼくのカーパックをちょっとご紹介します。
車は軽ですが、助手席の椅子を倒すと後席とほぼフラットになります。
昼間、覗かれるのが嫌で助手席の椅子は立てていますが、寝るとき倒して後席の布団を引っ張り伸ばせば結構寝心地のよいベッドです。
窓も一工夫、一面に手作りの網戸を張っています。
又、色の濃いカーテンが仕掛けてあって寝るときは全周このカーテンを引いたらしまい。
ベッドメークは3分もかかりません。

 五年ほど前、このカーパッカーで3ヶ月かけて北海道を巡ったことがあります。当時の愛車はヴィッツでした。
行く先々で同じライダーとよく顔を会わせました。しかしライダーはテントの設営がたいへんですね。
よくぼくの車泊を羨まれたものです。

ところで、ぼくのカーパッカーは歳をとるにに従って〝沈没型〟になってきました。車泊から車宿です。
こうなると謂わばそこに暫く住まうのだから良好な住環境が整っている必要があります。

車宿地の理想条件を挙げてみますと、
1)安心で無料のパーキングエリアがあること
2)景色がよくて散歩コースがあること
3)近くに清潔なトイレ、水栓があること
4)近所にスーパーやリーズナブルな外食店があること
5)図書館が近いこと、等
ぼくは持病がありますのでイザと言う場合に備えて病院の所在も確認しておきます。

駐泊の場所選びはなかなか難しいものです。他府県ナンバーですので普通の公園や住宅街では目立つのが困ります。(このナンバープレート何とかなりませんかねえ、外国ではどうなっているのでしょう)
人里離れたところもだめです。山頂で一度経験がありますが、深夜はかえって微かな音にビクビクし寝られたもんじゃない。やはりそこそこ人の居る所が良いです。

オートキャンプ場は料金もかかるし、ぼくは旅先でまで炊事する気になりません。また不便な場所が多く、車宿 には適しません。
そこで観光地を選ぶことが多いのですが、うるさい、ガラが悪そうだというところは当然避けます。この安全性ばかりは勘に頼るほかありません。

富士山中湖畔の公園で、前に常駐の交番があるのに,いつまでで駐車泊していても好意的です。ここは最高でした。

快適性、利便性、安全性の条件を全て満足できるようなところはそうざらにはありません。

 今まで見つけたところでは、北海道は富良野、函館、伊達市山梨県富士山麓の忍野、田貫湖、長野県駒ヶ根諏訪湖、飛騨古川町、西では兵庫県三木馬事公園、明石海岸も良い。そんな中でも諏訪湖畔は風光明媚、散歩コースは満点、生活環境も申し分なしです。
ここ諏訪湖畔は謂わばぼくの夏の別荘地です。

ぼくは「質素」(清貧粗食)がモットーですので、旅に出ても贅沢はしません。家に居るときとあまり変わらない費用で暮らします。
費用をかけずに居住地を選り好みする。これがカーパッカーの醍醐味でしょう。
こうして各地の大自然を満喫して廻る。何ものにも代え難い至福です。

春と秋、大自然に抱かれる〝タオの旅〟さて今年は何処へ行こうかな。
 
   車泊旅 桜前線 追いかけて  oiyan

(、そんな生活はもう20年以上前のことでした。、)