老いても病んでも回転ずし

体力の衰えは知的生活で補おう。老いても病んでも例え病床にあっても十分楽しい生活は送れます。

手繰(ググ)って行く楽しさ

 医者にカカルってどんな字だったっけ?まあ何でもググってみよう。
するとYahoo知恵袋でピッタリの質問に出くわした。
「病気にカカル」と「医者にカカル」は両方とも「掛かる」で、正しい日本語でしょうか? 病気と医者が同じ言葉って、ちょっと変だなと思いまして、。
⇒ネット博士の回答を読みながら⇒ググるってそのことを調べると言うより派生する疑問の輪がどんどん広がってゆくのが面白いですね。

 さて「カカル」のような場合、日本語として語源的に同じものを表記する際に基本的な漢字を決めて細かい使い分けはしない立場であれば、「病気に掛かる」でもいいわけです。それが「当用漢字音訓表」だったのです。
「みる」は「見る」だけ。「医者が患者を見る」それではだめだと言う人が多かったのか、「常用漢字表」で「診る」が追加されました。
しかし「視る」「観る」「看る」は認められません。「とる」は「取る」「採る」「執る」だけ。
「写真を取る」それではだめだと言う人が多かったのか、「常用漢字表」で「撮る」や「捕る」が加えられました。しかし「摂る」「獲る」「録る」「盗る」などは認められません。
私的な場面で「電灯を点ける」、「後を尾ける」と書きたい人は書けばいいわけですが、 公式の文書では「付ける」か「つける」にしなければなりません。

 そこで「病気にかかる」ですが、「罹る」の表記は公式の文書では使えません。
「かかる」か「掛かる」と書かねばならないのです。
読みが認められていないだけではありません。
「罹」という漢字自体が表外漢字ですから「罹患」は「り患」と書かねばなりません。

 このように日本語のポリシーがはっきりしないなかで「病気に罹る」が正解と言い切ることはできないのではないでしょうか?
パソコンの変換で「罹る」が出せるのは、それを必要とする人がいるからで、いいことだとは思いますが、お国が使わないと定めた表記であるということも事実です。

――これまでの正解を丸暗記するような受験勉強で、こうした縦横に広がって行くような知識欲が湧いてくるものなのでしょうか。意外とネット時代の‘新知性’は侮りがたい気がします。――

ネット博士の回答は概ね敬服しました。ただ最後のところの「~それを必要とする人がいるからで、いいことだとは思いますが、云々~」と仰る下りはちょっと意味不明、もうちょっと消化した回答が欲しいという気がします。
まあ後は各自のネット転がしのセンスの問題ですがねえ。

               丹波老子(oiyan)